うまくいっていたブログサイトを辞めた日
以前は、サッカーとwebのテクニカルな記事を中心としたブログをやってました。
なんとも関係性のないテーマで構築されたブログですが、20代後半くらいからちょこちょこ書いていたら結果そうなったという感じでした。
・webのテクニカルな話は、備忘録として。
・サッカーは観戦するのが好きだったから。
分けて書くのも面倒だから一緒に書いちゃえ。くらいに思ってました。
そしたら、サッカー記事に火がついて大きくなりました。
サッカーは地元で特定のチームを応援していました。
私が応援していた頃はJ2カテゴリーでしたが、今はいつのまにかJ1に定着しようとしています。
でももう全く興味はありません。
当時のブログの状況はそれなりのPVもあって、サポーターの方にも認知いただいていてました。
PVがそれなりにあるということは、収入もまあまあ、ありました。
サッカーだけでなくて、Linux関連の記事は某IT関連企業から掲載依頼が来たこともありました。
某団体からはスポーツ観戦記事を書いてくれという仕事の依頼もありました。
ラジオの出演や、某クラブのサポーターチームからの講演依頼なんてのもありました。
こう今、振り返ってみても、だいぶ上手くやってたじゃん。
と、自分でも驚くレベル。
でも、やめました。
それはなぜか?
それは、あの日「百年の恋も冷めるような経験」がきっかけでした。
突如やってきた「百年の恋も冷める」出来事
それは当時クラブとしても初めての開催となった「ファンミーティング」が発端でした。
確か雪が降ってもおかしくないくらい寒い日の出来事だったと思います。
某クラブの会議室で行われたものでしたが、某クラブのある場所はとにかく辺鄙。
車で1時間以上かけて到着し、私はまだこれからどんな話が聴けるのだろうかと心を躍らせていました。ただ、不安要素があるのも感じていました。それは「初開催」ということ。
新しい試みです。失敗することだってあるというのは重々承知でした。
しかし、私はそれすら好意的に受け取っていました。
むしろ、私はこのクラブが成長できないのは「失敗を失敗と認識しないところ」だと思っていました。
当時は出資先の大手企業から出向した社長が就任したばかりで、新しい風を感じていました。
これからもっと良くなるだろう。そうに違いない。
私はそう思っていました。
しかし、「ファンミーティング」が始まってからその想いは一気に崩れ去りました。
あんたら仕事ができないだろ?絶対
もうだいぶ前の記憶なので正確なことは覚えてません。
ただ、とにかく覚えているのは一列に並んで座していた「背広組」への不満です。
・説明ベタ
・人の話を聞いていたのか?と思うような返答
・メモをとらない
・時計をチラ見する
新社長以外全員に絶望しました。
新社長はファンからの質問に答えられない他の背広組をフォローしつつ、齟齬をうまく取りなし会を進めていました。さすが大企業出身です。
しかし、他のスタッフの哀しいまでの対応に私は愕然としました。
もちろん彼らがプレーするわけではありません。
チームの顔でもありません。裏方の人たちです。
ですが、とにかく驚きました。
・外部の方をお呼びして話をする場での準備不足。
・ビジネスマナーの欠如(新卒じゃないんだからさ的な)
・自社サービスへの理解度のなさ(サッカーを知らないではなく、ビジネス観点の欠如)
・各部門の長とは思えない責任感の薄さ(そう見える発言)
でも、深く合点しました。「ああ、こんな人たちじゃ絶対上手くいかない」と。
実はこの時、帰り際に某ケーブルテレビのスタッフからこのファンミーティングに参加した感想をインタビューされました。
そこで私は
「いいんじゃないですか?こういった新しい試みをやっていくのは」
と発言したのを記憶してます。
その後、実際夕方のニュースか何かで放送されたらしいです。
でも腹の中は
「こんなふざけた状態でやるなら、やらない方がマシ!ヤメヤメ、話にならんわ!」
と言ってました。口にしなかったのは、新会長が唯一まともだったからです。
ここがダメだったら言ってました。
そして私の発言は、放送されることはなかったでしょう。
そこで完全に冷めました。
家族でスタジアムに観戦行ったりもしてました。弱くて勝てなくても応援してました。
なんなら発足時から気にかけてました。なぜなら実家の近所のにーちゃんが所属してたから。
でも全てが吹き飛びました。
ごめん、こんな人たちが運営してるクラブなんて応援したくない。
百年の恋が覚めた瞬間でした。
その後、気の迷いかもしれないと思って続けてましたが、
あっさりと書きたくなくなりました。
ついでにサッカーもそこから海外、国内関係なく、一切見なくなりました。
「そんなことで!?」って思うかもしれませんが、百年の恋が冷めるきっかけってそんなもんじゃないでしょうか?
最近の言葉で言えば、カエル化現象とでもいうんでしょうか。
初めての試みだから失敗もあるさ。なんて余裕ぶった気持ちで参加しわたわりに、とてつもないダメージを受ける結果に終わったファンミーティング。
私個人の観点からすればこのファンミーティングは「大失敗」だったわけです。
IT記事の方だけでも続ければという思いもありましたが、結局全てのブログを破棄しました。
とにかく「書こう」という気持ちが全く湧かなくなったのです。
放置するくらいなら破棄しよう。そう思った次第でブログはやめました。
それは本当に自分が読みたかったブログだったのだろうか?
そうして、数年後に田中泰延さんの読みたいことを、書けばいい。が話題になりました。
私も読ませていただきました。
この本を読んで気がついた点も多かったんですけど、「あののブログは自分じゃなくて、他人が読みたいブログだったな」と。気がつきました。
唐突にやる気がなくなってしまったわけですが、今になってまた同じことをやろうと思いませんし、当時書いた記事が惜しくなったり、読み返したいと思ったことは一度もありません。
ITの記事なんて、3年も経てばもう古文書です。
サッカーの記事も一度書いたら当時ですら読み直すことはほとんどありませんでした。
当時はブログからお金が入ったり、ブログから仕事が広がったりして、そっちに気を取られていたというのもあると思います。
自分が読みたいより、「他人が読んでくれてなんぼでしょ?」がメインの目標になった結果、そういう記事を書いていたんだろうなと。この本を読んで思わされることになりました。
このことに気がついてから、自分で読みたくなるブログってなんだろうな。
と、頭の片隅で考え始めることが始まりました。
そして、自分が読みたいブログがイメージできたらまた新しいブログを書き始めよう。
そう思うようになりました。
ここで、私の人生においてブログを書くことは一旦棚上げされました。
優先順位はだいぶ低くなりつつも、私の中の「やりたいこと」の一覧の下が定位位置となりました。そして、ようやく最近になり、その順番が変わってきました。
自分が最後に「自分、オモロいこと書いてたな」と思えるブログ
正直にいうと、まだハッキリと「こんなブログよ!」と言えるほどイメージは固まってません。
でも、なんとなくあっちの方向だな。という進む方向は見えてきました。
またブログを書こうと思うようになってきました。
このイメージができたのは、自分の過去のFacebookの投稿を見てる時でした。
不覚にも以前のオレ、面白いこと書いてるな。と、思っちゃたんですね。
昔の自分の投稿見てニヤついてるってだいぶやばいですが、そう思ってしまったのでこれは仕方ない。
そして、さらに「なんでこれを外向けに書かなかったんだろう」と。
ここまで自分で言ってしまうと、だいぶハードルを上げてるわけですが、
Facebookの友達なんてほとんどいないし、閉じたコミュニティでこっそり書いてるものを読み返してみて、実際外に出して面白いかはわからないんですけど、少なくとも自分自身は面白いと感じたわけです。
実際、その片鱗というかやりたいことは見つかっている
ちょっと伝わりにくいけど、Tumblr(私のアカウントです)ってSNSサービスを使ってる時の感覚もこれに似ています。あんまりメジャーなSNSではないので、話伝わりにくいんですが例としてあげます。
SNSについては、Facebookに触れましたけど、X(旧Twitter)、インスタグラムやその他いろいろやってましたが、全部途中で辞めてます。
でも、Tumblrは細々とサービス開始からずーっとやってます。
多分、この形が性に合っているんだと思ってます。
TumblrというSNSを一言で表現するのは難しいです。かつ、人によっても使い方が違うかもしれません。私にとっては、情報が滝のように落ちてくる世界で自分が面白いと思ったものを拾う世界です。いいねするにしても、リポストするのも誰にも気兼ねはいらないです。前に見たとかも関係ないです。とにかく自分のも白いと思ったものに反応していくだけ。
そして、時々、後ろを振り返る。
すると、そこには自分が面白いと思うものが長く連なってます。
昔の投稿を忘れた頃に読み返すと、とにかく面白くて夜眠れなくなります。
それって、つまり自分が読みたいSNSを作れる。ってことなんですよね。
それがTumblrです。
そして、多分自分が読みたいブログって多分そんなブログ。
1980年生まれ。もう40歳半ばになると、徐々に人生の終わりが見えてきます。
人生100年時代とはいうけど、元気でいられる年齢としては折り返し地点を過ぎていてもおかしくない年齢です。
現段階でも若い頃から比べたら、ずいぶん衰えを感じますが、この先どんどん衰えていくでしょう。
いろんな意味で。だから、今のうちに書いておくのがいいかなと思ってます。
この感覚って、「アルジャーノンに花束を」のチャーリーのものに似ているのかもしれません。
まあ、凡人である私の知能はそこまで高くないですが。
まだ元気なうちに自分が死ぬ時、笑って読めるブログを書こう。
これがこのブログのコンセプトです。
まあ、本当にその時まで続けられるかわかりませんが、ブログを続けていく道標にはなるでしょう。
もしかしたら、あわよくば自分の子供たちに「お前らこれ読んでちょっと考えろ!」くらいなものにまとまっていると、最高かもしれません。